2020/1/7

言葉のちから その169

言葉のちから

なにやら得体の知れない、異様な雰囲気を察知してフッと目覚めました。

周囲には焦げくさい臭いがたちこめ、階下からパチパチという音が聞こえてきます。

火事?

すぐに隣で寝ている妻を揺り起しました。

「火事かもしれないから、ちょっと下を見てくる。子供たちを起してくれ」

私はそういい残して寝室を後にしました。

それがよもや、妻子との今生の別れになろうとは思いもせずに。

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いま、140年以上続いてる老舗の和菓子屋「和た与」の5代目店主・小川与志和さんのインタビューを読んでいます。

上記は5年前の831日、小川与志和さんの身に起きた事件です。

これ以上の絶望はあるのだろうか・・・

140年続いていた自ら経営する和菓子店が全焼。そして、妻と子供3人を激しい炎によって失うのです。

3番目の子供は、2ヵ月前に生まれたばかりの赤ちゃんです。

小川さんは自分の身に起こったことはいったい何なのか、夢なのか、現実なのか意識が混濁し、このときの記憶は断片的にしか残っていないそうです。聞けば、錯乱状態に陥り、暴れるところを看護師たちに押さえ込まれて鎮静剤を打たれたようです。

もう生きていてもしょうがない 早く妻と子供のあとを追いかけようと

小川さんは病院のベットで考えていると 消防署に勤めていた親友が病室に入ってきたそうです。

親友は「よう、どうだ調子は?」と普段と変わらぬ調子で声をかけベットの隅に腰掛けました。

「ここから飛び降りたら、死ねるかな」そう小川さんがたずねると、親友は「そら、死ねるわな」。

小川さんは言います。

「彼は『死ぬな』とはいいませんでした。後で、おまえは決してそんなことはしないと信じていた、

と言っていましたが、逆にとめられなかったことで、私はそこでの自殺を思いとどまったように思います。もし彼が来てくれていなければ、私は恐らくその晩を乗り切ることはできなかったでしょう」

日にちが経っても、耳の奥には奥様の最後の苦しそうな声が染み付いたままで

近所にある遊園地の観覧車が目に入る度に最後に一緒に遊びに行ったときの子供たちの楽しそうな姿を思い出し、涙があふれたそうです。

気力をなくし、悶々と日を送っていると、小川さんのお父さんは「仕事はすぐに再開しなけければならない」と、早々に焼け跡から使える什器の搬出を始めたのだそうです。

「大事な家族を失ったばかりなのに父は何を考えているんだ」と小川さんはお父さんの気持が理解できず憤りすら覚えたそうです。しかし来る日も来る日も黙々と作業を続けお父さんの姿を見ているうちに、

先祖が100年以上も守ってきたお店ののれんを自分の預かっている時代にたたんではならないんだろうな、という思いが湧いてきたのだそうです。

「父にしても大切な嫁やかわいい孫、将来の跡取りを失ったショックは相当なものに違いない。その悲しみと一生懸命に闘いながら、黙々と老いた体を動かしている。そう思い直して眺めた父の後ろ姿からは、どうか息子の私に立ち直ってもらいたい、という親心がひしひしと伝わってきて、私の目頭は思わず熱くなるのでした」

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月日は流れ、「和た与」は再開の日を迎えることになります。

「その日、私は午前2時に目を覚ましました。身支度を調えて仏壇に向かい、にっこり微笑みかけている妻と子供たちの写真に手を合わせました。

 (いよいよきょうから営業再開や。がんばるから、どうか見守っててや)

写真を手にとって仕事場に飾り、深夜の静まり返った厨房で一人作業を開始しました」

ところが、先代から受け継いだ味を奥様と2人で4年かけて改良した「うゐろ餅」を作っているときに

米粉を入れるタイミングが微妙にずれ、生地のとろみが強くなり過ぎてしまったのです。

ここで失敗すれば50枚もの「うゐろ餅」がダメになり開店の時間に間に合わなくなる。

どうすべきか―。

というとき「水を足して」一瞬、奥様の声を聞いたような気がしたのだそうです。

すぐさま水を足したところ、見事な練り具合に仕上がりました。

「あれが本当に妻の声だったのか定かではありませんが、彼女が確かに見守ってくれていることを感じ

 俄然、力が湧いてきました」

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小川与志和さんは言います。

「あの一件で、それまで持っていたこざかしい考えや つまらないこだわりは吹き飛び、人間がいかに無力な存在であるかを実感しました。 そして、自分がいまこうして 生かしていただいてることに感謝して、一日一日を大切に生きようという心が芽生えました。

 私は妻と3人の子供たちという、かけがえのないものを失いました。

 しかし いつまでもないものを嘆くのではなくあるものに目を向けていった時、自分がいかに多くのものに恵まれているかが見えてきました。

 立派なお店にたくさんのお客様、

 両親をはじめ自分を支えてくれる人々。

 

 火事を通じてそのありがたさを知り、

 

 また、何事もない平凡な日常、

 ただ元気に働ける毎日がいかにかけがえのないものであるかが

 実感できるようになりました。

 それが、悲しみの底から私が見出した

 光と言っていいでしょう。

 

 私がなすべきことはお店の看板をしっかりと守り、

 亡くなった妻と3人の子に恥じない生き方をしていくこと。

 その覚悟のもと、きょうもお客様に喜んでいただける

 お菓子作りに精を出しています」

 

「いつまでもないものを嘆くのではなく、

 あるものに目を向けていった時、 自分がいかに多くのものに恵まれているかが

 見えてきました」

  

「また、何事もない平凡な日常、 ただ元気に働ける毎日がいかにかけがえのないものであるかが 実感できるようになりました」

  

小川さんのこの言葉、

絶対忘れたくない

って思いました。