2019/9/12

言葉のちから その114

私たちも、何かをやればよく失敗もする。
いつも失敗する危険性を持っているのである。
ましてや幼い子どもは、未知、未経験の分野が多いのだから失敗するのは当たり前といっていい。

ところが、幼い子どもの失敗に私たちは意外と厳しい態度でのぞんでいるのである。
子どもに限らず、失敗を取り上げられ、責め立てられて物おじしない人間はいない。
せっかく持っている力も発揮出来なくなるのは当たり前である。

ある母親は、失敗する危険性を心配するあまり、お使い一つでさえ子どもに頼めないで、
「うちの子は何も出来ない」と言って、いらいらしているようである。

子ども自身、失敗の危険性があるから、お金を落としてはいけない、
豆腐をこわしてはいけないと自分に言い聞かせて、緊張感の中で行動する。
そうした中で、なお一層萎縮していくのである。

人間が成長して行くその過程では、責任を放棄してみたり破ってみたり、
踏みにじってみたり、まともに見ておられない危険性を含んでいるのである。

責任を果たさなかったからといって、追求したり攻撃したりしてはならない。

だんだん責任を果たす人間になるためには、たとえその時親がとばっちりを蒙ったとしても、
一番大事な所で機会を与えなければいけない。