2019/11/19

宮沢賢治と山梨

 山梨県立文学館は、山梨県立美術館と同じ敷地内にあって対面した位置関係にあります。
  庭もきれいに整備されたとても素敵なロケーションです。
  先日、県立文学館に「宮沢賢治展」を観に行きました。
 
 青年期の宮沢賢治の親友であった保阪 嘉内。彼は山梨県の韮崎出身。甲府中学(甲府第一高校)から盛岡高等農林学校。そこでともに文芸同人誌「アザリア」にかかわった人物です。
 
 山梨県出身の保阪氏が岩手の農林高校を志願したのが「トルストイを読んで百姓の崇高さを知り、それに浸ろうと思った」といいます。
 賢治と保阪は、農林高校の寄宿舎でも同室。仏教やキリスト教などの様々な信仰の追究、農村を中心とした社会運動への関心なども共通していました。
 
 だが、1918年(大正7)年に保阪がアザリアに寄稿した詩の中に「おれは皇帝だ。おい今だ。今だ、帝室をくつがえすの時は」というフレーズがあり、これが学校側に問題視されました。当時はロシア革命の直後だけに、日本では学校や官憲が過激思想に対して神経過敏になっていた時期でした。
 そのため保阪は高校を除籍。
 その後も両者の交友は続き、20代前半の賢治は盛んに手紙のやり取りをしています。
 
 除籍後の保阪は、東京の明治大学に籍を置きながら北海道大学への進学を目指していました。ところが、母親の急死もあって、進学をやめて山梨で百姓となることを考えます。軍隊や山梨日日新聞での記者として働いていたこともあります。
 青年訓練所で若い人たちの農業指導をするなど、尽力しました。
 
 私たちがよく知る宮沢賢治の青年期の親友である人物が山梨の出身であり、ともに夢を語り合ったのが、今から約100年前。
 
 山梨には銀河鉄道のような夜空が広がります。