2019/10/31

新聞読み比べ=英語認定試験=(10月30日頃)

 英語認定試験に関して、文部科学大臣の発言から最近の新聞の社説等をまとめてみました。
これまで、英語認定試験については問題点が指摘されてきました。
延期すべきだという意見も、準備が進んでいることから実施すべきだと多様な意見がありました。
今回、「身の丈」発言から、試験の公平性についての議論が多くなされています。
11月1日からは「共通ID」の申し込みも開始されます。
 
 今後の流れも踏まえて、各大学のアドミッションオフィサーも注目しているところです。
(記事は、各社のHPより)
 
 
●時事通信(10月30日)
2020年度の大学入学共通テストから英語の民間資格・検定試験を活用する新制度をめぐり、自民党内で30日、導入延期論が浮上した。受験生の居住地や家庭の経済事情などによって有利不利が生じるとの懸念がぬぐえないためだ。政府は予定通り実施する方針を崩していないが、萩<!--es-->生<!--es-->田<!--es-->光<!--es-->一文部科学相は同日、混乱が拡大すれば柔軟に対応する可能性に言及した。

 自民党文教族のベテラン議員は30日、「これだけ反対がある以上、押し切れない」と指摘。同党幹部も「延期した方がいい。制度の詰めが甘く、進めればもっと問題が出てくる」と述べ、延期した上で制度を再考すべきだとの考えを示した。  萩生田氏の「身の丈に合わせて」との教育格差を認めるかのような発言が批判を浴び、政権内では世論の動向への懸念が強まっている。  20年度実施を主張し続けてきた萩生田氏も、30日の衆院文科委員会では「仮に今より混乱が進むような事態が新たに確認できれば、考えなくてはいけないという気持ちもある」と語った。

 
●毎日新聞(10月30日)
来年度から始まる大学入学共通テストの英語民間検定試験について、萩生田光一文部科学相が「自分の身の丈に合わせて勝負してもらえれば」と発言し、撤回に追い込まれた。
検定試験は7種類ある。高校3年時にその中から2回まで受験した成績が志望大学に提供される。それまでに「練習」で受けられる回数に制限はない。試験によっては検定料が高額だったり、会場が都市部に偏ったりする。このため、経済、地域格差が生じると指摘されている。

     発言は民放のテレビ番組で飛び出した。「裕福な家庭の子が回数を受けてウオーミングアップできるようなことはあるかもしれない」と認めたうえで、「そこは自分の身の丈に合わせて2回を選んで頑張ってもらえれば」と語った。問題はまず、新制度が受験生の格差を拡大しかねないことを事実上容認している点だ。

     萩生田氏は「どんな環境下にいる受験生も頑張ってもらいたいという思いだった」と釈明し、「説明不足だった」と謝罪した。だが、撤回では済まない。発言は萩生田氏の本音ではないかという疑念が消えないからだ。

     高校側からは検定試験導入の延期を求める声が上がっている。文科省は検定料軽減などの配慮を検定団体側に求めているが、格差解消の見通しは立っていない。それでも、来月1日には試験で受験生が使うIDの発行申し込みが始まってしまう。

     より深刻なのは、萩生田氏が教育基本法の定める「教育の機会均等」を理解していないことだ。テレビ番組で格差の指摘を受けて「『あいつ、予備校に通っていてずるい』と言うのと同じだ」とも述べた。

     だが、予備校に通うかどうかは主に本人の判断であるのに対し、家庭や居住地を受験生は選べない。そうした事情で検定試験の「練習」ができなければあきらめるしかない。これらの不公平をなくすのが教育行政の役割のはずだ。「身の丈に合わせて」と言うのは開き直りに等しい。

     今回の発言で、新制度への不信感がいっそう広がっている。制度の不備に目をつぶったまま見切り発車してしまうのでは責任の放棄だ。

 
●東京新聞(10月30日)
撤回ですまされる話ではない。「身の丈に合わせて頑張って」という萩生田光一文部科学相の発言は、英語民間試験では公平性が担保できないことを自ら示している。制度を見直すべきではないか。

 大臣はもちろんご存じだとは思うが、そもそもの話から書く。教育の機会均等は憲法一四条の法の下の平等と、憲法二六条によって保障されている。

 これを具現化し一九四七年にできた教育基本法は「人種、信条、性別、社会的身分、経済的地位又は門地によって、教育上差別されない」とうたう。憲法一四条にはない「経済的地位」が追加された。貧富で子どもの未来が左右されてはならないという決意の表れだろう。二〇〇六年の改正後もこの部分は変わらない。

 大学入学共通テストで導入される英語民間試験は機会均等の原則を損なう恐れがある。六団体七種類の試験は都市部での開催が中心で、受験料が二万円を超える試験もある。地方の受験生は交通費や、場合によっては宿泊費もかかる。共通テストで成績が使われるのは三年生で受ける二回だが、試験に慣れるためには同種の試験を繰り返し受けた方が有利だ。

 萩生田文科相は自らの発言を撤回した二十九日の会見でも「制度としては平等性が担保される」と話す。しかし全国高等学校長協会が延期を求めるなどの異例の事態を見れば、教育現場がそう感じていないことは明らかだ。

 すでに経済格差や地域格差が以前より高い壁となっている現実がある。〇八年のリーマン・ショック以降、首都圏の大学に通う地方出身者の割合は減少している。地方の受験生が挑戦しやすいよう制度を改革する大学もある。多様性が生み出す活発な議論が、イノベーションなどの新たな価値を生み出す効果を重視しているからだろう。

 共通テストの民間試験も四年制大学の三割が使わず、出願資格とした大学でも別の手段で英語力を証明する余地を残したところもある。格差拡大への懸念が解消していないことの表れだ。

 本来は格差を縮める努力をするのが政治家の役割だ。十一月には民間試験の利用に必要なID(個人の識別番号)の申し込みが始まる。混乱や懸念が拡大する中で新制度を強行してもよいのか。生まれた場所や家庭の経済状況だけではなく、この大臣のもとでの受験が不運だったと、受験生を嘆かせたくはない。

 
●朝日新聞(10月30日)
制度が抱える構造的欠陥と、担当閣僚の不見識、無責任ぶりを示す発言と言うほかない。

 来年度から始まる「大学入学共通テスト」に英語の民間試験が導入されることによって、家庭の経済状況や住む地域による不公平が生じるのではないか。報道番組で問われ、萩生田光一文部科学相はこう答えた。 「それを言ったら『あいつ予備校通っていてずるいよな』というのと同じ」「自分の身の丈に合わせて頑張ってもらえば」

 民間試験は英検など7種の中から受験生が自分で選ぶ。入試として受けられるのは2回までと決まっているが、別途、腕試しは何度でも自由にできる。

 受験料(1回約6千~2万5千円)に加えて会場までの交通費、場合によっては宿泊費もかかるため、都市部の裕福な家庭の子とそうでない子とで条件が違い過ぎると、懸念の声があがっている。生徒の側に「受けない」という選択肢はなく、予備校通いと同列に論じられる話でないのは明らかだ。

 入試には貧富や地域による有利不利がつきまとう。その解消に努めるのが国の責務であり、ましてや不平等を助長することはあってはならない。それなのに教育行政トップが「身の丈」を持ちだして不備を正当化したのだ。格差を容認する暴言と批判されたのは当然である。

 萩生田氏はきのう発言を撤回した。だが大臣として急ぎ取り組むべきは、改めて浮き彫りになった新制度の欠陥の是正ではないか。少なくとも受験料負担と試験会場をめぐる不公平の解消を図らねば、受験生や保護者の納得は得られまい。

 民間試験に関しては、異なるテストを受けた者の成績を公平に比較できるかなど、他にも課題は多いが、萩生田氏は今月初め、「初年度は精度向上期間」と述べて物議をかもした。

 改革の方向性は正しいのだから、多少問題があってもやるしかない。氏に限らず今回の入試改革の関係者には、そんな開き直った態度が見え隠れする。

 文科省のまとめでは民間試験を活用する大学・短大は6割にとどまる。中には一部の学部でのみ使う例もあるので、実際の使用率はもっと低い。また、求める得点レベルを極端に下げ、事実上成績不問とする大学も珍しくない。入試で最も大切な公平・公正に対する不安と不信の表れにほかならない。

 改革の目玉である民間試験への懐疑は、共通テスト制度そのものの信頼を揺るがす。矛盾を放置したまま実施を強行し、本番で問題が噴出したらどうなるか。文科省にとどまらない。そのリスクを政府全体で共有し、対策を講じるべきだ。

 

西日本新聞(10月27日)

準備の遅れは目に余ると言わざるを得ない。2020年度に始まる大学入学共通テストで導入するという英語民間検定試験のことである。原因は制度設計の甘さにあることを文部科学省は深く自覚すべきだ。

 全国の大学が実際にどれほど英語民間試験を利用するのか、文科省が集計結果(11日時点)を発表した。 四年制大学の約7割(539校)が少なくとも一つの学部・学科で利用する予定で、短大を含めると約6割(630校)という。導入まで半年を切って、受験生が大学ごとの状況をおおよそ把握できるようになった。

 大学入試改革の目玉の一つだが、迷走ばかりが目立つ。7月には民間試験の一つ「TOEIC」の実施団体が「責任を持って対応を進めることが困難」として参加を辞退し、対象試験は6団体7種類に減った。9月から日本英語検定協会の「英検」の予約申し込みは始まったが、実施計画の詳細がまだ決まっていない試験もある。

 そもそも、目的が異なる各種民間試験の成績を一律に評価できるのか。大量の試験結果を全ての実施団体が厳格、公正に採点ができるのか。不正や事故に十分に対応できるのか。受験会場が少ない試験もあり、都市部と交通の便が悪い地方との受験機会の格差が生じかねない。特に中山間地や離島も少なくない九州では見過ごせない問題だ。

 いずれも民間試験導入の検討開始時点から指摘されてきた「公平と公正」に関わる重い課題だが、今に至るも解消されたとは言い難い。全国高等学校長協会は9月、現状を「先の見通せない混乱状況」と見なし、民間試験導入の延期と制度見直しを文科相に要望した。受験生の視点に立てば当然だろう。

 四年制大学の約7割が民間試験を使うとはいえ、その利用法はさまざまだ。共同通信によると、国立大の過半数は民間試験の成績が中学卒業レベルやそれ以下でも出願を認める方針という。つまり「形だけ」の利用である。背景には、課題を抱える民間試験導入に前のめりの文科省への不信感がうかがえる。

 日本の英語教育は長年、「読む・書く」能力の育成を重視してきた。「話す・聞く」も加えて4技能をバランス良く育むという方針に異論はない。ただ「民営化」してまで共通テストで4技能を問うことに、反対の声がなくなったわけではない。

 文科省は高校や大学の現場の声を重く受け止めるべきだ。試験本番の詳細を早急に詰め、速やかに情報公開し、導入延期も選択肢に入れる必要がある。受験生を入試改革の「実験台」にするようなことは許されない。

 

●琉球新報(10月30日)

弱者は切り捨てても構わないという発想が根底にあるのではないか。

 萩生田光一文部科学相が大学入学共通テストの英語で導入される民間検定試験について、家計状況や居住地で不利が生じるとの指摘に「自分の身の丈に合わせて頑張ってもらえれば」と24日のテレビ番組で述べたのである。  2020年度から大学入学共通テストで活用される民間検定試験は英検、GTEC、TOEFLなど6団体7種類。20年4~12月に最大2回受験できる。受験会場は都市部が中心となる。  導入を巡っては、かねて公平・公正を確保するのが困難であると指摘されてきた。試験ごとに会場数、回数、検定料などが異なり、居住する地域や家庭の経済力によって有利、不利が生じるからだ。  萩生田氏の発言は、それぞれが置かれている条件の中で努力すればいい―という趣旨であり、格差の拡大を是認するに等しい。  反発が広がったことを受けて28日、報道陣の取材に応じ「受験生に不安を与えかねない説明だった。おわびしたい」と謝罪した。  さらに29日の閣議後記者会見では「受験生を見下したり切り捨てたりすることを念頭に発言したわけではない」と釈明した上で、「撤回し、謝罪する」と述べた。  離島をはじめ遠隔地に住む受験生は試験会場までの交通費や宿泊費に多額の出費を余儀なくされる。移動の時間もかかる。地理的条件、経済上の制約によって、受ける試験が限定される受験生も出てこよう。  都市部の受験生はそのような負担がない。家庭に経済力があれば、高校3年になる前に検定試験を何度も受けて、慣れておくこともできる。貧富の差、居住地の差が試験の成績を左右するだろう。  萩生田氏は、受験生に不公平が生じる懸念に対し「『あいつ予備校に通ってずるい』というのと同じだと思う」と24日のテレビ番組で反論していた。本当にそうなのか。  大学受験の公平が損なわれる事態は、予備校に通うかどうかといった話と同列には論じられない。教育の機会均等を定める教育基本法、教育を受ける権利を保障する憲法の理念に関わってくる。  萩生田氏は「さまざまな課題があるのは承知の上で取り組んできた。さらに足らざる点を補いながら、予定通り実施したい」と29日の会見で話した。制度の欠点を認識しながら、甘受するよう求めているように映る。  大学入学共通テストと銘打つからには、全ての受験生が生活圏の中で同一の試験を同一の日程で受けられる仕組みを整えるべきだ。  各自が置かれた環境によって不利益が生じることはあってはならない。文科相発言は制度の不備を改めて浮かび上がらせた。実施を延期した上で大幅に見直した方がいい。