2019/10/25

言葉のちから その141

言葉のちから   (自律の力)

 

「じりつ」の概念は、ちょっと難しいかもしれません。簡単に言えば、人は自分で自分のことを決めることの自由のために、強く生きようとする力が働くということです。専門的な言葉を使えば、自己決定できる自由のために、生きようとします。逆言い方をすれば、人は自由を奪われると苦しくなります。たとえば、おなかがすいたときに食べるものを選べる自由が私たちにはあります。ところが、いつも決まった食事しか食べることができなければ、それはとてもつらく苦しいことでしょう。自由に食事を選びたいと願うことでしょう。このように、人は自分のことを自分で決めるための自由がほしいと願う存在です。

自由が奪われると自由を求めて生きようとします。アメリカ公民権運動で活躍したキング牧師や民主化運動を進めたインドのガンジーの活動は歴史的にも有名です。これは、自律の力と考えることができます。 

I have a dream (私には夢があります)      

「私には夢があります。
いつの日にか、ジョージアの赤土の丘の上で、かつて奴隷であった者たちの子孫と、かつて奴隷主であった者たちの子孫が、兄弟として同じテーブルに向かい腰掛ける時がくるという夢が。

?私には夢があります。
いつの日にか、私の4人の幼い子供たちが肌の色によってではなく、人となりそのものによって評価される国に住む時が来るという夢が。」

キング牧師の演説は10分以上にわたるものですが、聴くと心動かされるものです。是非、一度聴いてみてください。

自律と自立の違いについて(この部分は少し専門的な内容です)

 さて、このように人は自分の自由のために生きようとしますが、それが奪われると死にたいほどの苦しみになります。 
 この地球上で安楽死が認められている地域があります。その一つ、アメリカのオレゴン州の報告では、人が死にたいと希望する理由は、身体の痛みでもなく、お金に困っていたからでもなく、次の二つの理由でした。一つは、自分で自分のことができない。もう一つは、だれかに頼って生きることがつらい、というものでした。この場合、自分で自分のことができない苦しみは、自立を失うことです。このように、自立(自分で自分のことを行う)を失うことを大変つらいことです。しかし、年齢や病気のためにどれほど心を込めてお世話しても、ある時には自立を失うことは避けることができません。
 しかし、あえてここでは自立と自律をわけて考えます。自立は自分でできなければなりませんが、自律は誰かにゆだねることができれば自立は失って自律は失わないのです。
 トイレに行くことのできない患者さんを考えます。一人ではトイレに行くことができない患者さんは、自分でできないという意味で自立を失います。しかし、排泄方法を自己決定できたならば、自律は失いません。たとえば、昼間は看護師さんに車いすでトイレまで連れて行ってもらう。夜は部屋にあるポータブルトイレで排泄することを自分で選択できれば、排泄方法を選ぶ自由がある点で自律は保たれるのです。
 自律と自立の違いは難しい概念ですが、とても大切なポイントです。