2019/10/24

言葉のちから その140

言葉のちから  (いのちを伝える)

 

「ねえ、お母さん。私、どうやって生まれたの?」。幼い子が、一度は口にするこの疑問。
 先日の夕食時のことです。五歳になる長女が、ふと、そう言って尋ねてきました。その時私は、とっさのことに適当な言葉も見つからず、つい、「今忙しいから、今度ね」と言ってごまかしたのです。
 数日後、幼稚園へ子どもを送った帰り道、いっしょに歩いていた近所のお母さんが話しかけてきました。
 「ねえ、この頃、子どもたちの自殺とか殺人とか多いじゃない。それって、家庭の中で、生きることとか、つまり、いのちの教育が、きちんとされてこなかったからだと思うの」
 「えっ?」何の話か、まだのみ込めない私に構わず、彼女は話を続けます。
 「いのちの教育って、例えば、『私、どうやって生まれたの?』なんていう幼い子の疑問に、きちんと答えることから始まると思うの。精子と卵子が何億分の一かの確率で出会い、一つの新しいいのちが誕生することとか、そのいのちは、世界中でたった一つしかないこととか・・・。
 いのちの尊さが分かっていれば、簡単にいのちを断つこともなくなるでしょうし、人のいのちも大切にして・・・。あっ、これって性教育の話みたいだね、ははは」。彼女は明るく笑いました。
 「そうかあ、いのちの教育ねえ。たしかに大切なことかもしれないね」
 私も彼女の生き生きとした口調に乗せられ、そう答えました。と同時に、偶然にもこの時、わたしはずっと気になっていた、あのことへの一つの答えを得たのでした。

 “そうだ、いのちの話をしてあげればいいんだ”

 夜、娘が寝る時、私はよく物語を話して聞かせます。でも今夜はいつもとは、ちょっと違うお話です。
 「きょうはね、この前の”あなたがどうやって生まれたか”っていうお話をしてあげるね。あのね・・・」
 もう、照れくさいとか、気恥ずかしいといった思いは少しもありません。
 私たち夫婦の愛情によって、娘の命が結ばれたこと。そのいのちは、両親の両親のそのまた両親・・・というように、計り知れない積み重なりの中で生まれたこと。それは、人間の力に及ばない、神様の働きによることなど、できるだけていねいに話しました。
 「分かった? だからね、あなたは神様にいのちを頂いて生まれた、神様の子どもなのよ。でもね、神様の子どもは、あなただけではなく、いのちのあるものは、み~んな神様の子どもなの。だから、みんな神様の子同士、仲よくしてほしいの。そうすればお母さんもうれしいし、神様だって、”ありがとう”って喜んでくれるよ」
 気がつくと、先程まで目を輝かせて聞いていた娘は、いつに間にか静かな寝息をたてていました。この安らかな寝顔を、しばらく見つめていると、いのちの実感とともに、何ともいいようのない感謝の気持ちが満ちあふれてきたのでした