2019/10/15

言葉のちから その136

 

言葉のちから   (いのちを考える その3)

人生は決して平坦な道ではありません。どれほどまじめに生きていても、失敗をしてしまうことがあります。学生でしたら、まじめに勉強しても試験に落ちるかもしれません。一生懸命練習しても試合に負けてしまうこともあるでしょう。しかし、苦しみは必ずしも負(マイナス)の要素だけではありません。健康なときには気がつかなかった大切なことに気づいたり、病気を通して新しい大切な何かを学ぶ可能性があります。ホスピスで働きながら、病気を通して今までとは全く違う生き方をした人に出会ってきました。

患者さんの紹介

一人の患者さんを紹介ます。横溝さん(65歳男性)です。2004年4月から2004年7月7日まで横浜甦生病院ホスピス病棟に入院していました。横溝さんは胃がんという病気でがん専門の病院で治療を受けていました。しかし、これ以上の積極的な治療は難しいという判断でホスピス病棟に紹介され、入院となりました。入院した頃は、もう生きる意味を失い、気持ちも暗い様子でした。しかし、ホスピスに入院されてから、不思議に元気になっていきました。そして、私たちスタッフとの関わりを通して、様々なことを話されていきました。 健康な頃は、仕事(司法書士)も順調でした。勝つ、負けるという世界では勝ち組として活躍してきました。ところが、ある日突然がんになり、これ以上の積極的な治療が行えなくなったとき、それまで信じてきた価値基準がもろくもくずれてしまいました。「勝ち組」から一瞬にして「負け組」になったような気がしましたと話されていました。その苦しみを通して、私たちに様々な大切なことを語り始めました。

 人は、一人では強くなれません。弱い自分を強くするためには、たいせつなだれかが必要なのだと思います。 だから、「よわさ」とは、そんなにいみきらうものではなかったのです。「よわさ」とうまく共存できる人間になればいいのです。 心から、心から、わたしはそれを感じました。もし、がんにならなければ、わたしはこのことに気がつきませんでした。こんなに「生きる」ということを考えたことはありません。 「死」を考えることは、生き方を問うということです。信頼という気持ちがわいてきたとき、人は生きることがこの上なく楽しいと思い、たいせつなものを手放すことをおしまなくなるのです。「手放す」ということは、失うことではありません。「手放す」ことは、だれかを信頼し、自分の思いをたくすことなのです。そして、それは自分がいなくなっても確実にだれかに受けつがれていくものなのです。

このような話をされていました。そして、ホスピス病棟に入院中の6月、たまたま修学旅行の中学生がホスピス病棟に訪問した際に、その中学生の前で病気を通して学ばれたことを話す機会がありました。

 病気から学んだことも、たくさんありました。自分の欠点やよわさを知って、落ち込み苦しんでいる人も世の中には大勢いますが、その欠点やよわさを、自分自身がまっさきに受け入れてあげることが一番だいじなんですよね。そうすれは、人は人をほんとうに思いやり、愛することができるのだと思います。よわさや欠点が多い人ほど、だれかを必要としているのです。よわさや欠点の多い人ほど人にやさしくなれるのです。そう考えれば、よわさは強さに変わります。ぼくは病気になってからそれにはじめて気がついたのです。ほんとうは、病気になってからではなく、もっと早くそれに気がついていたら良かったのですが...。だから、それをわかいきみたちに伝えたいと思ってこうしてみんなの前にたっています。

 横溝さんは、私がいろいろな学校で多くの若いお子さんたちに話をしていることを知って、「僕も是非、病気を通して学んだことを伝えてほしいと思います。」と言ってくれました。そして、本であったり、子ども向けのビデオ教材として紹介されることになりまし。

横溝さんの話は、ポプラ社より「ぼくたちの生きる理由」今西乃子著として本になりました。是非、ご一読ください。また、小学校5・6年向けのビデオ道徳教材「ホスピスから届いたいのちの授業」(TDKコア)にも登場されました。