2019/10/13

言葉のちから その135

 

言葉のちから  (いのちを考える その2)

 

ホスピスで働く中で、苦しみは4つあることを学びました。(ここでは苦しみを痛みとして表現してあります)

1.身体的な痛み

2.精神的な痛み

3.社会的な痛み

4.スピリチュアルな痛み

中学の保健体育の時間で、WHO(世界保健機関)による健康の定義を学んだ生徒さんもいるでしょう。健康は単に身体的なものだけではなく、精神的にも社会的にも良い状態であることが書かれていたと思います。ここでは、さらにスピリチュアルな苦しみについて紹介してみたいと思います。

スピリチュアルな苦しみとは、私の師である村田久行先生(ノートルダム大)の定義によると、自己の存在と意味の消滅から生じる苦痛(無意味、無目的、無価値など)と紹介されています。 これを、私の言葉で表現すると、「存在を失う時に生じる苦痛」と紹介していますが、この言葉を聞いてピンと来る人はなかなかいないでしょう。

 事例を紹介いたします。Aさん42歳男性、毎年健康診断を受けていて検査に異常を認めなかったにも関わらず、ある日体調不良で受診した病院で膵臓がん末期と診断され、残された時間はあと3ヶ月と言われホスピスに入院してきました。Aさんに、初めて病気を知ったときにどんな思いでしたか?とたずねてみると、「私は今まで一生懸命働いてきました。たばこも吸わずに、お酒ものまないで毎年健康診断では異常はありませんでした。そんな私が...なんで、私が病気で死ななくてはならないのですか!?」このように怒りを話されていました。このように、スピリチュアルな苦しみは、きわめて理不尽な思いであり、その問いかけには人間が答えることのできない内容を含みます。なぜ私だけこんなに苦しむのだろう?このような問いかけは誰にも答えることはできません。しかし、私たちがしばしば日常生活で経験する苦しみの一つです。

 

 学問には2種類あります。一つは事実学という学問です。自然科学を中心とした学問で、仮説をたてて検証していきます。たとえば、水は何度で沸騰するのであろうという問いに対して実験を行い、観察を通して事実を確かめることができます。もう一方は本質学という学問です。これは、哲学を代表とする学問です。たとえば、死んだらどこに行くのか?とか、死は怖いか?という問いがあたります。実際に確かめることができないものであったり、どちらかが正しいと決めることのできない問いです。

 ここで紹介したいことは、いのち教育には、この人間には答えることのできない問いかけも含むということです。どれほど科学が発達しても、人には答えることのできない問いかけがあります。しかし、医師や教師など先生と呼ばれる人の中には、聞かれたら答えなくてはいけないと信じている人もいます。答えなければいけないと信じる先生は、このような話題に触れたくない思いを持つかもしれません。自然科学中心の学問ですが、私はその一方で、哲学を中心としたものごとの考え方のセンスも教育には必要であると考えています。