2019/8/4

甲陽八珍果とは?

石和温泉駅から南に少し下ると、左手に立派な石碑が立っている。
「小松 導平翁」の碑
 
碑文に「甲陽八珍果」という言葉が出てきます。
甲陽八珍果とは、山梨の代表的な果物である  ブドウ・モモ・ナシ・カキ・クリ・リンゴ・ザクロ・ギンナン(もしくはクルミ)」のこと。
 小松 導平は、石和地区が河川の氾濫のあと近代化大規模栽培を始め、現在の笛吹市一帯に広めた。
 
【碑文】
明治四十年八月山梨県河川氾濫は四日にわたる。
就中(なかんずく)石和邑(むら)一帯最も甚だし。
家屋人畜の亡失算(かぞ)ふる無く、沃野万頃化(よくやばんけいか)して砂磧(されき)と為り乃(すなわち)拡張して旧剃鵜川は笛吹川に遷(うつ)り、以(も)って水を治めて河身(かしん)を廃す。
一百二十余町二十余年を委棄(いき)す。
小松導平(どうへい)翁慨然(がいぜん)として奮起し、挺身其の衝(しょう)に当たり、県衙(けんが)を説き、其の允許(いんきょ)を得て耕地整理法に準拠して■貲施工(ぶんしせこう)し、科学的大農場組織を試(し)し、農戸(のうこ)数十を建て、以って住民を誘致し、理想的農場を創設す。
甲陽八珍果(こうようはっちんか)を栽植し、その繁盛を謀る。
我が石和邑(むら)が今日富厚(ふこう)なるは、実(まこと)に翁の恵賚(けいらい)なり。
郷民(きょうみん)其の徳に感じ、胥謀卜(みなぼうぼく)し、開拓地の中心に頌碑を建設し、功徳を後昆(こうこん)に伝へんと欲す。
銘(めい)に曰(いわ)く
 天殃地変(てんおうちへん) 洚水滔天(こうすいとうてん) 新疏流域(しんそりゅういき)
 河身(かしん)は笛吹に東遷(とうせん)して廃迹(はいしゃく)し、砂礫(されき)は充填す。
 此の翁興起(こうき)し、能(よ)く石田(せきでん)を拓(ひら)き、屋(や)を建て民を移し、果を栽(う)え、阡(あぜみち)を開く。
 恵徳(けいとく)は千古まで、豊碑屹然(ほうひきつぜん)たり。
 
 昭和二十三年歳次(さいじ)戊子(つちのえね)十一月
     蘇峰(そほう)徳富正敬撰
     医学博士物外(ぶつがい)佐藤恒二書