2019/8/4

山梨の魅力 =今も残る 「無尽」=

 筆者が子どもの頃にも、長崎でも「無尽」があって無尽旅行なるもので両親が出かけることもありました。しかし、40年前くらいにはほぼ機能しなくなっていました。
 
 その「無尽」がしっかりと残っていて「無尽に入れば立派な山梨の一員に」というひともいるくらい。
 
 無尽とは、要するに小規模の融資を伴う相互互助システムである。例えば零細企業の社長が10人集まったとする。この10人が10万ずつ出し合って100万円。これを仕入れに資金に乏しい数人の社長が入札し、2〜3割ほどの「利子」を差し引いた70〜80万円ほどの融資を受ける。返済時に額面の100万円が返済されるために、残ったお金はこの無尽グループ内に積み立てられる。この積立金は次の会合に使ったり旅行に使ったりするなどグループのために使われる。こうして、資金難の社長は救われ、遊ぶこともでき、グループの結束も高まるという仕組み。
 
 無尽は古くは鎌倉時代以前からあったようだが、前述のようなスタイルが広まったのは江戸時代から。明治以降はよりビジネス面の強い無尽が広まり、「無尽業者」が誕生する。
1915年に無尽業法は制定され、悪徳無尽業者の排除がなされた。やがて、巨大化した無尽会社は「銀行」の一員として名実ともに日本の金融システムを担う存在となる。
 やがて、無尽会社は相互銀行へ転身するなど、変化していった。
 ただ、個人レベルの無尽はほそぼそと続き、主に漁村や農村で残っていった。
 
 では、なぜ山梨にに広く残っているのか。
 山梨県は江戸時代から商業都市傾向が強く、経済システムへの理解が深かったことがおおきい。現在では養蚕も衰え、経済的には決して豊かな県とはいえない。しかし、実は山梨県の県民所得は全国ランクの上位にあり、決して低くはありません。
 
 無尽という相互扶助の精神が残っていることが、窮地に陥った会社や家庭をすくならずも支えてきたと考えたい。
 飲食店や旅館には、いまでも「無尽会承ります」と書かれています。
 定期的にコミュニティで集まり、飲み会や旅行に出かける。健康寿命日本一の要因かもしれません。