2019/7/26

言葉のちから その72

葉のちから  【命 その2】    

 

 

また、息子宗一郎のお話をしますね。
彼は平成十年3月31、光の世界に帰りました。最後の3ヵ月は実は病院ではなく自宅で過ごしました。
そのときのわたしたちは必死でした。
なんとかして病気を治してもとの元気な宗一郎になってほしかったんです。
サイマテイックという音で病気を治す器械も購入して使いました。その他多くのことをやりました。
でも、いまから思えばもっともっと一緒に楽しんであげればよかったと思います。
日に日にやせ衰え、痛みに苦しむ息子を私たち夫婦は精一杯看病しました。
自分では歩くこともできない息子を背中におんぶして
お風呂にそのままの姿で入ったとき、痛みが少しやわらいだ息子の
顔はとても幸せそうでした。
支えているわたしも泣きながら、お風呂につかっていました。
いてくれるだけでうれしい!!! 生きていてくれるだけでありがたい!!!
夜は私と妻の間になって寝るのですが、30分ごとに訪れる痛みをやわらげるために
私たちは宗一郎の体の位置を変えてさすってやりました。

正直いってとても辛かったです・・・
でも・・・でも・・・・
いてくれるだけでいい・・・

彼がいなくなることがこわかったんでしょうね。
辛い痛みのなかでもできるだけ、私たちに笑顔をみせようとしていた子でした。
「おかあさん、ごめんね」「もっと元気だったらおかさん、おとうさんも疲れないのにね」
「おかあさん、ぼくもっと生きたいよ!!!」
痛みがでるとサイマテイックでその痛みをやわらげてあげました。
もう、これはいけないなと思い、病院へ連れていく車中で・・・
意識があまり定かではない宗一郎がこう言うんです。
「おとうさん、おかあさん」「信じあって、助けあって、分かり合って生きてゆくんだよ」
「悲しいときや苦しいときほど、笑うんだよ」「自分をせめることが一番いけないんだよ」
などと強い口調で私たちに言うのです。
病院での最後のとき・・・・
たんが気道を満たして声にならない声で・・・・
最後の一声が・・・
「ありがとう」なんです。
それまで全身の痛みで抱くことができなかったのですが、
最後は母親に抱かれながら静かに息をひきとりました。