2019/6/29

言葉のちから その40

言葉のちから  【復興】

 岩手県の山田町

三陸のゆたかな海の恵みを受けた漁業の町でした。
しかし、あの津波で、山田町は町ごとのみこまれて一変しました……
3月11日   間瀬(ませ)さんは家を流され、自身が経営するスーパーも壊滅。
間瀬さんも、次の波がきたら絶対自分も死ぬ。         そう思ったそうです。
死と直面した間瀬さんはこのときはっきり気付きました。

人は死ぬ。  人はいつか必ず死ぬ。  でも、いま、自分は生きている……。
死と直面した間瀬さんは被災直後にこんな思いが湧き上がってきたそう。
「やらないと後悔する」  「やっておけばよかったって絶対言いたくない」 「あきらめたくない」
震災直後とえばまた余震がくるかもしれない。また津波がくるかもしれない。
みなが何をしていいかわからないときです。そんななか間瀬さんは自分にいま何ができるんだろう。
何ができるんだ。何をやらないといけないんだ。一晩寝ずに考えていました。

間瀬さんの出した答えは「スーパーの仕事とは 山田町の冷蔵庫なんだ。 だから何が何でも食料を確保する。 いま、俺らがやらなくて誰がやるんだ」
すぐに盛岡に向かい 食料を確保してなんと、震災後4日目には壊滅したスーパーの横の駐車場で青空スーパーを開始したのです。3月の岩手は、まだ震えるほどの寒さにもかかわらず外で始めたのです。
「なくなった人の分まで体を使おう。 なくなった人の分まで頭を使おう。 なくなった人の分まで心を使おう」間瀬さんはその一心だったそうです。
3月11日スーパーびはん壊滅 わずか4日後の3月15日スーパーびはん青空スーパーとして営業再開
そして8月7日。建物も完成しスーパーびはん復活!
オープンした8月は「びはんのための国道か?」
と言われるほどびはんへ向かう車で長蛇の列となりました。
町中が、びはんの復活を望んでいたのです。わずか5ヶ月でスピード復活したスーパーびはん。
その背後には、どうしてもお盆までに再開したかった理由があるのです。
お盆は、亡くなった方へお花や団子や、お供え物が必ず必要になるからです。
だからスタッフ一丸となって5ヵ月間働きぬいた。


 


「山田町は必ず復興する」
間瀬さんはそう言っていました。