2019/4/28
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「なぜ天皇機関説なのか?—社会科学からみる歴史」 |
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5月12日に開催されるYAMANASHI-WAY(高校2年製対象】の 教育学部 森元 拓 先生 講義・演習「なぜ天皇機関説なのか?—社会科学からみる歴史」は、非常に興味深い内容です。 時代が「平成」から「令和」に変わるタイムリーな内容ということができます。 参考出典:http://wakariyasuku.org/tennoukikan 『明治維新により江戸時代が終わり、混沌の中から確立した近代日本が、一近代国家として船出をするにあたって、日本という国にとって「天皇」という存在をどのように解釈し、位置づければいいのかという問題に直面しました。そこで生まれたのが「天皇機関説」という考え方でした。これは、大日本帝国憲法下での「天皇」の意義や権限に関する憲法解釈学説の一つになります。この天皇機関説は、「天皇主権説」という考え方と対立関係にあり、天皇主権説を採用する論者の側からは不敬であると非難を受け、喧々諤々の議論が戦わされました。ちなみに、昭和天皇は、天皇機関説を支持しておられたことも有名です。 まず、【天皇主権説】から見ていくことにしましょう。 天皇主権説では、天皇を絶対権力者である主権者と見なし、天皇の下に国家が存在していると捉えることで、天皇の完全なる支配下に議会や内閣を位置づけました。つまり、天皇は国家に属する存在ではなく、国家を超越した存在だと言うことです。 それに対し、【天皇機関説】では、「天皇」は国家に属する一機関と考えるわけです。 ですから、「不敬」と言われるほど「天皇」の存在を軽視したわけではないのです。といいますか、天皇の存在を敬う気持ちは「最高機関」とする点によく現れているといえ、むしろ、社会の実情に合わせて良く練られていたのは、天皇機関説の方でした。 長い歴史を紐解くと、歴史の中で天皇の位置づけがその時代背景により変化してしていることがよくわかります。 今、私達は「象徴」としての天皇の姿をこれまで見ることができます。また、国民を思いやり、常にそばに寄り添うように生きてきた姿を見てきました。平成という時代が幕を閉じようとしています。令和における天皇の姿とは・・・。社会の主権者としてこの機会に学ぼうではありませんか。
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